昭和45年10月10日 月例祭
十月十日という日は、皆さんもご承知で御座いましょうけれども、教祖生神金光大神が、天地の親神様から十月十日という日を、金光大神永世の祭日として、お知らせを受けられる。ご生前中から此の十月の十日という日を大事にされ、金光大神祭というておられました。それか私共、この頃四日に御大祭を頂きました。それが生神金光大神祭、いわゆる金光大神祭で御座います。
七日、十日、そして十三日と四回に分けて、御大祭が御本部で執り行われますけれども、本当は今日が本当の事なんです。同時に今日とという日は教祖金光大神が神上がりをなさいましたご命日でもあるわけで御座います。ご生前から旧の十日と新の十日が陰陽の暦で伴う日がある、その日が金光大神神上がりの日ぞとおしらせ頂いておられる。そういう意味でも、今日は大変尊い日で御座います。
お道の信心をさして頂く者にとりましては、もう本当に有り難いお日柄で御座います。同時に生前生神金光大神永世の祭り。何時いつまでも金光教のある限り、いや天地のある限り、お道の信心が続く事で御座いましょう。そのお道の信心の上に於いて、今日という日はさんぜんと輝く日であり、又尊い日である。十月十日というのは、生神金光大神永世の祭り。そういう金光大神が受けられた御信心内容というものを。
私共の信心の上に、又生活の上に頂いて行こうというのがそのまま金光教の御信心でも、又あるわけで御座います。自分で自分の心が拝まれる、氏子信心して十年と信心が続いたら、我ながら我が心を奉れと仰った。我ながら我が心を登れと。果たして我ながら我が心を奉れるという人が幾人あるであろうか、私共が願いとする信心のいわば信心の焦点。これはおかげの焦点じゃない、信心はどこまでも矢張り、そこん所を目指すんで御座います。
我と我が心を奉れと、我と我が心を奉れれるという程しの、いうなら我と我が心が拝めるという程しの心。十年と信心が続いたら、そういうおかげを頂けれる様にならなければいけないのだけれども、中々私共は十年たちましても、二十年たちましても、我と我が心が拝める様にならん。ならなければならないのだけれどもならん。そこにです。私共がその事にいかに取り組んでいないかという事を改めて感じさしてもらう。その事に取り組んで十年、もう必ず、私は誰でも自分で自分の心が拝めれる様になるのだ。
ところが私共が先程、佐田恭造さんの前講の中に御座いましたように、あまりにも迂闊にしておる。今度の十日の御月次祭には佐田さん前講ですよ、お願いしますと事務所の方でいわれなさった時にです。さあそれからというもの、そうでもないでしょうけれども、毎日仕事が手につかん位その事を思われたと。口で言うだけならどんな事でも言えるけれども、果たして自分の信心を語るという事になった時に。
どういう事が語れるだろう。自分の信心の内容というものが、どの様な所までおかげを被っておるのだろうかと、改めて思うてみたとこういうのであります。本当に日々の信心の稽古こそさして頂いておるけれども、その焦点なしにいよいよ我と我が心が奉れる程しのおかげを頂かして頂く稽古がなされない事を、しみじみ感じたという事をお話になっておりましたですね。その事に取り組まして頂けばね。
十年たったら、私共でも我ながら我が心が奉れれるおかげが受けられるのだけれども、私共はそこが散漫になっておる。知ってはおる。けれどもいよいよ今度の月次祭にはあなたが前講努めなきゃならんと聞かしてもろうて、改めて思うてみて、改めて自分の信心を確かめてみたという訳なんであります。どうでしょう皆さん、一つ本気で自分の信心を思い出しよるばってん、どん位の信心を頂いとるか。
時々やはり、確かめてみる必要がある。参りよるだけ、拝みよるだけ、お話は毎朝頂きよるだけと言う様な事で、十年も二十年も私共は、無意味に過ごして来たと言う様な、感じが強いのであります。何かなけりゃ、やっぱりいけません。今日はそういう良き日に、鳥栖の上野さんとこの、ご長男の結婚式がここで御座いました。初めて私はここで三十五人もの結婚式を奉仕させて頂いた。
何時もここんところ一列、こうまあ並ばれる位。まあ二十人位ですかね。親戚、主だった兄弟とか、おじさん、おばさんという程度だけしか見えない。今日はその兄弟とおじさんだけで三十五名からあった。ですからこう一番向こうの方まであの後ろの方に金屏風立てましてね、こう並びましたけれども、一列じゃ並ばんから二列になったと言う様な、まあいうなら盛大な結婚式でした。
楽員さんですから、矢張り楽員さん方が全員今日は奉仕されまして、本当ににぎやかな、厳粛な結婚式がここで行われました。引き続いて自分の自宅の方であるというので善導寺の久保山さんは、ご親戚にあたりますし、私共は教会からもというので、ご案内頂いとりましたから、二人であちらの車に便乗して披露宴の方へ参りました。家内が帰って一番口に申しました事は。
もう先生もうとにかくおかげを受けてある事がよう分かります。前に長女が誰かが嫁に行く時やはり披露宴によばれた時はまだ二階借りであった。しかも小さいまあようも太り立ちの子供達がこれだけの部屋で過ごされたもんだと、思う程しのお家であったという。それを今度行ってまるで久保山先生とこのごたる大きなお家であった。そこで沢山の人数がいわば結婚式の披露宴が出来るという位ですから、大体考えがつく。
もう回っちゃ見らんけれども、裏にもまだ部屋があるごたった。二階も総二階になっておるようであったが。〈式のあったしもしであったけれども〉あれだけの事が出来るというだけでも、大変なおかげを受けられたもんですと、家内が一番口それを申しました。おかげを受けてるよ。ほんとにおかげを受けておる。そういう例えば、おかげの中で長男の、今日は、結婚式の披露宴がありました。
ここで式に、使えさせて頂いております時も、式を終わって、仲人それから両親、新郎、新婦、私の部屋に呼びましてから、お話しさせて頂いた、事で御座いますけれどもね、上野さん、例えば今日の様な、有り難い、おめでたいという、いわば日がね、成り成って、来ておるという事を思うただけでも、これからの事が、全てが成り成って、行くであろうと思うたら有り難い。
どの様な事に、なるのか分からないのだけれどこれから。けれどもそれも矢張り、神様のおかげで成り成って行くのだと確信出来たら、どの様な例えば人生の航路の上に風が強かっても、波が高かってもそこを押し切り、乗り切って来る、元気が湧いて来るねというてお話した事でした。普通の人ならば、例えばいうなら体と体が一緒になるという事で、結婚式の全ての様に思うておる人すらある。
それは一重結びの様なものだ。だから問題があると、パッと分かれる。別れりゃ他人というごとなる。ところがあなた達の場合は式の中でも、祝詞を持って交わされる。神様へのお誓いの新郎新婦の言葉によって、言葉によって交わされる。玉串が普通とは違います。新郎、新婦がその玉串を取り交わす事の儀があります。いわゆる心と心を取り交わすという、その上に体で取り交わすというのが結婚式なのだ。
ですから二重にも三重にも結ばれておるのですから、引っ張られりゃ引っ張られる程、強うなって来る訳なんです。そうでしょう一重結びしておるからちょっと何かあると、こうパッと外れてしまう。けれどもそういう幾重にも結ばれておるという事がそのまま信心なのだから、いよいよこれから有り難い事になって幾だろうという事なんです。いわゆる成りという事は成就の事ですね成り成って行くという事。
ここ迄の運びの中にもう様々に、神様の御演出というか御働きというかそれを感じん訳にはいけなかった。熊本から御道の教師を志して御道の教師にはなったけれども、どうも布教に出るチャンスがない。親教会としても、頼みきるという程しの事が出来ない、小さい教会であった。ですから教師を断念しましてね、断念しまして寮のおばさんといいますか、寮の方を炊事の方を受け持つ御用になられた。
そこがね、たまたま上野さんが奥さんの入っておる寮であった。そこからね、二人のいわゆる馴れ初めというか、があってその先生もここに二回、三回程お参りして見えられました。先々月でしたですか、その寮を辞められて本当に御道の教師をもう一遍、親教会に帰って修行さして頂こうと、というて帰られたら、それこそとんでもない、もうそれこそとんでもない様な大きなお話がね、いわゆる大きな教会から、お嫁さんに貰われると言う様なおかげを頂かれた。
帰られてからすぐ、先日からその御礼のお手紙が参りました。もう本当に神様の御都合というか、御神縁というか、不思議な事です。そこからね、上野さん達の今度の結婚式のそもそもの所が生まれた。だから上野さん達だけではない、そう言う様なおかげがこう広がっていう程しのおかげに、いわゆる成り成ってきたのある。ですからこれからとても矢張り、そういう神様の御神意、御都合の中にいうならば親先生のお祈りの中に成り成って行くのである。
ですからそれは痛い事であっても、苦しい事であっても。成り成って行く所の過程なのだから、その事が有り難いと御礼が申し上げられなければ成らないという事になるんです。これからも確信に満ちた、いわば夫婦の信心、いわば生活が続けられて行く事だろうとこう思います。それだけではない、今日家内が申しますように。この前の姉さんの結婚式の時にはそれこそ二階借りの。
ようもようも沢山なこれだけの太りだちの人達が、一緒に生活できたと思うような、二階借りの長い長いいわばそういう時代があったけれど、そこを追い立てられそれこそ血も涙もない様にして追い立てられたけれども、そこにはそういう素晴らしい家も屋敷も買いましたんですからね。もうその辺の事をいうたら、大変なおかげだった。もうどんなに考えたって、あちらのお父さんがそれこそ、血の涙が出る様に、はがいがって男泣きに泣かれた。
追い出される時に。だから私、気合いを入れましてね、神様が大きなおかげを下さろうとする所へ何がそんなに泣くかと。どこが腹が立つんか、神様がよりよりこういう二階借りじゃないおかげを下さろうとするからこそ、そういう働きがあってるじゃないか、奥さんよりもご主人の方がその事がいわば割り切れずにですね、歯がゆい思いをなさったけれども、そこん所の心のいわば入れ替えが出来て、御礼を申し上げる様な気持ちにならして頂いたら、もう間もなくいうなら。
そういういわば大きなそれこそ、沢山な人を一緒に自分の家に招いて披露宴が行われる程しのおかげを頂いた。畑は広いし大きな木はあるし。本当に勿体ない様なおかげを頂いておられますと、家内が実際見て来てそう云うておるんです。だけではない。その長男の結婚式のいわばなれそめから、今日成り成って参りました経路の事をいうても、神様の御都合の中にあれがあり、これがあって来た。〈なかばでない事がないじゃなっかった。〉先日からも、それこそ主人がもう青うなってふるえて腹をたてた。
ついまだ十日ばっかり前の話。その約束が違う、向こうの。というてもうこれは無期延期だと、もう結婚式は取りやめたいのだけれども、無期延期すると云うて、先方に手紙を書いた。もうそれこそ、腹立ち紛れに書いとるから字が腹たっとるごたる字書いてから、ここにお母さんが持って来ました。だから一辺ここに寄らんのと、まいっちょ気合いを入れちゃるからと。それこそ馬鹿じゃなかろう。
合楽で御信心の稽古をさして頂いて、どこがここが腹が立つかと。問題じゃない、そげんとこは、と言う様な事でしたが、矢張り親先生がこう仰ったと云うてああそうだという事が分かった。分かったらあとは又非常にスムーズに。だからそういうその中にも、纏まって来る中にも、もう寸前、結婚式を間近に控えてもう無期延期すると言った様な事を相手にその勝行さんが、お父さんが向こうに手紙でも出さにゃんくらいな事柄が起こったことは起こったけれどもです。
それとてもそこで自分の信心を確かめさせて下さったという事は有り難いね、結婚前に、そういう事になる前に。そしてほんと合楽で信心さして頂きゃぁ、こういう生き方頂き方があったんだ。ここに馬鹿に阿呆になる時はここだと云う事が分かって来た。それが今日の三十五人もの多い事の結果にもなった訳なんです。私は今日はその事を仕切りに頭の中からね、成り成って行くという事を私は。
今日は皆さんにこの事を聞いて頂かにゃいけんなと頭の中に思って霊神様にご挨拶をして頂いて、又その事が仕切りに頭の中に残ってここに座らせて頂いた。同時に秋永先生からお届けがあった。お初穂の一番上に「盗難御礼御願」と書いてある。盗難、泥棒におおた。その御礼、その御願い、のお届けであった。昨日電話がかかって参りました。つい最近買われたばかりの大きな車が、何時もここにのって参りますその自動車が盗れた。こりゃもう本当に、昔は馬泥棒ちゅうのがおったそうですね。
大きな泥棒には馬泥棒ちゅうがおったそうですが、今では自動車泥棒です。私も驚いてしもうた。しかも聞いてみたら、今時盗られた自動車は分からせんち、しかもその中には沢山な商品、お客さんから、ご依頼の着物やらも入っておった。もう何時も中の商品は全部出して駐車場に持って行くのだけれども車庫に持って行くのだけれども、その日に限って中に、商品を入れたままであった。
どんなに考えても神ながらだという事を感じます。自動車は買うたばっかり。その事に対してです「御礼」としたためてあるのを見せて頂いて、私が今霊神様の前で思い考えておった。成り成って行くという事の為にです、私はもう本当にここで感動した。私は金光様の御信心とはね、それだと思うんです。でなかったら、成り成っていかないのです。この事だけは信心で受けるけれども、この事だけは信心で受けられないという事になったらね、いわゆるおかげが本当におかげに成就していかないです。
今朝からの御理解の中に御理解八十一節を頂きましたですね、氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならんぞと、気を緩めてはならんぞと。十里の坂を上りきったら、それで安心じゃという御理解でした。お互いの信心を振り返ってみる時にです、今日は金光大神永世の祭り日だと。我と我が心がお祭りなさる程しの、生前から大事にされたいわば御日柄であると。いうなら我と我が心を何時も拝めておられた金光大神の御信心をそこに、感じるわけでは御座いますけれども。
私共はそういう信心を目指して頂くのだ。十年と信心が続いたらと、十年信心が続いて只今、私が申します様な、いわゆる秋永先生の、お届けの内容の様な事なんかです。いわば、上野さんとこの例を取りましたが、どの様な事があってもです、それは成る程、かっかっと頭に来てから、腹の立つ様な事もあろうけれども、御理解を頂いたら、ああそうだったと分かる事。これは、腹でも立てる事じゃない、惜しかった惜しかったと、思う様な事ではない。これは先ずなんと云うても。
御礼を申し上げる事だと気付かせて頂く事。そういう私は御礼の心が、先ず自分の心に中に養われて行く。全ての事を神様有り難う御座いますと、御礼申し上げれる様な事に焦点を於いての信心が、十年本気で続けるならばです。成る程我が心を奉れとおっしゃる様な内容が少しは分かって来るんじゃないかという風に思います。お互いがしっかり調子よう信心させてもらいよる。
十里の道は九里半もうすぐそこに頂上が見えておる。ところがさあ、そこんところに九里か、九里半ちゅうところにです、迷わなければならない事、そこにいわばもうすぐ頂上は見えておるのに。又一里の所からやり直さなければならないと言った様な信心をお互い繰り返し繰り返しておるからおかげもやっぱり堂々回りだという事にもなるのです。そこで三代金光様が仰る様に「信心には辛抱する事が一番大切で御座います」と。
もう何がなんて云うても、信心には泣く泣くでも、辛抱しなければならんと。うれしゅう楽しゅう行く時期がずうっとあると思うてもです、そこにピタっと行詰ってね。それこそ泣き面に蜂と言った様な事がありましてもです。そこの所をです有り難く頂いて、初めて十里のいわば頂上なら頂上を極める事が出来るのです。二、三日前森部の高山さんが、親先生、今朝からこういうお知らせの夢を頂いたというて、お届けをしておられます。お夢の中にね、もうそれこそ険阻な山を登って頂上に到達しておる。
所が下を見ると、断崖絶壁と言った様な感じで、山が切り立った様な山の頂上に登っておるというのである。はあここまで登って来たのは、登って来たものの向こうへ降りるという事はこれはどう言う事じゃろかと。本気で降りるという気持ちにならして頂いたら、そこにはかずらがあり、石があり、手がかり、足がかりがあって楽に下れた。中にはもうこれで行かれんかと思う程の岩石にぶつかった。所が丁度その岩石が人間がひとり入っていけれるよな穴があって、やっぱり通られた。
昔篠栗さんにお参りした事がありますけれども、岩と岩の間をくぐって行かなならん所がある。悪い事をした者は行かれん。と言う様な所〈春の海と〉言う所がありますが、丁度そういう感じでした。もう行かれるだろうかと思うてそこまで行った所が、もう難なくそこを通り抜ける事が出来たと。手がかり、足がかりがあって下まで降りたというお知らせであったというのである。
私共がもうとても、こげな山には登られんと、例えば信心のない人達ががね、二十年間も毎日参り御座るという人の話を聞くととてもそげな事は出来んと初めから出来んに決めてしまっておる。なら二十年間も毎朝、朝晩参りよる人達は楽しゅうて楽しゅうて有り難うして有り難うして、自分の心の中に、これが御神徳じゃろか、これが神様のお計らいであろうかというものを分からして頂いて、お参りしよる。
そりゃ分からん。とても信心する者は馬鹿んごたる、とても毎朝、こげん早ようから参ってというてから、まあ信心のない者、薄い者は言うけれど、実際登ってみるとですね、そこにはこげな険阻な山に登れるだろうかと思うけれども登る気になりゃぁ、ちゃんと手がかりがあり、足がかりがあって、難なく登れるおかげが頂けれる。降る事に於いても、しかりであるという事なのである。
だから信心は本気でそして頂こうという気に成らなければ駄目だ、それはどういう例えばお試しを受けて、どういう障害があっても本気でそこを有り難く頂かして頂こうと言う気になるとです。そこにはちゃんと手がかりがあるのだ、足がかりがあるのだと。私は今日は八十一節というその本文よりも、八十一節と言う所に焦点を置いて、頂くんですね、今朝の御理解は八というのは皆んなが求めてやまない、末広がりに広がって行くという八の字と広がって行く。
それにプラスするという、十とは、そういう第一歩を印させて頂くという、そういう山をですね、昨日久保山先生のとこの長男の茂さんが昨日は経理の御用を頂いて、終日御用を頂いておりました。私は驚きます。あの人が何時も経理に打込んでやっておる時の姿にもそうですけれども、そのあとから出来ている帳面を見せてもろうてから。ほんなこて、誰が来たっちゃ税務署なら税務所にね。検査に見えられても、もう開けてみただけでね、通過するちゅう。
もうこげん綺麗に書いちゃるとやけんもう間違いなかろうと、やっぱ思うらしいですね。という程しにそりゃもう丹精が込められてあるです。これ程しの事が出来る人がねこれ程しの事を家庭なら家庭、勤め先なら勤め先を持ってこれだけの事が出来るなら、その大変なお徳を受けるだろうと私は思うたそしたらその時神様から「千坂兵部」と頂いた。これはね廻りです。それこそ千の坂を越していかなきゃならんというのである。
だからひとつの坂を行ったり来たりしよるような事では、千の坂を越えられるはずがない。それこそ千の坂をですね、一つひとつしかも楽しゅう有り難く越えていけれる道が金光大神の御説きになった教えられた道なのです。それを例えば徳川家康は一生を重い荷物を担いで通る様なものだと。人間の人生航路というものをその様にいうております。けれどもこれではあまりにもじゅつない。
人間としてこの世に生まれて来てです、重い荷物をもうしっかり担いで、ずうっと歩かんなならんと言う様なそういう、索漠としたというか、苦しいという事ではない。教祖様曰く、そこは一生は修行と仰っておられるけれども、修行の内容がね、尊い高度なものになっていき、いわば千の坂もなんのその、それを越えていくということ、その事が生きがいであるのだと言う様に分からして下さるのだからね。
これいっちょ越えたら又越えなんじゃない。又越える事にです、これで又神様はどげなおかげ下さるだろうか、どういう力をお徳を下さるだろうか思うだけでも、心が弾んで来る様なおかげを頂かしてもらわなければならん。それが金光様の御信心なのだ。それこそ真っ青になって腹かかなければならない様な事にぶつかっても、それこそ信心しておって、どうして此の様な事が起こるのであろうかと、言う様な事がもし起こっても成り成って行くという事実をふんまえて思うてみると。
その事は矢張り御礼と言う事に成って来るのだ。全ての事にです。そういう御礼の心が伴うて有り難い、もったいないという生き方こそです、私共金光大神のお道を信奉さして頂いておる者のいわゆる生き方だと、私は思わしてもらいます。だからそこの所を稽古さして頂かなければ、楽しみも湧きません。ただ参っておかげを受ける事だけが有り難い、楽しいのであったら、それと反対になら、秋永先生の所の様な事が起こって来ると、これ程信心するのにと言う事になる。
神様が感動まします程しに、こういう痛手を受けながら神様に御礼申し上げて下さいというその心なのです。だから私共が日々、八十一節ではないですけれども、いよいよ広がった上にも広がって行く様なおかげを頂かして頂く為にです。私共が九里半登ってやれやれと安心したり、そこで迷うたりして、又もとのもくあみからやり直さなければならない様な事を、繰り返さんで済むおかげを頂く。
その気になれば高山さんが頂いておられる御神夢ではないですけれど、どういう険阻な山道も登るにも、下るにも同じ事。そこにはちゃんとその気にならば、手がかりがあり足がかりがあり、もうそれこそ一つの苦労もなしにそこを下って行ったと言う様なおかげが受けられる。皆さんそういう一つおかげを頂いて頂きたいと思います。只今お祭りが始まる寸前、土居の久富くにかさんがお届けをされました。今朝方からお知らせを頂きました『それは今朝は朝の市場に出られたから朝参りが出来ておられなかった。
そしたら頂いておられる事がね、ミョウガがね、一畝に一杯生えておるミョウガの花が。そこの横には広葉がこうある所を御神眼に、頂いたといわれる。それは今朝の御理解で。というてお話しした事で御座います。広葉とはいわゆる八の字である。もう限りなく広がって行くと云う事なんだ。いわゆるあれはおむすびを包む物、包んでお弁当なんかに使いますね。そういう物、それにはね、どうしてもミョウガが必要なのだ。
ミョウガというのはね、ただ何かをもろうたから有り難いというのではなくて、盗られたけれども有り難い。こういう問題が起きて来たけれどもよくよく思うてみたらこれも御神意だと分からして頂くという心がミョウガなんだ。そのミョウガをね、頂かずしてこの八の字の様に、広がって?の様なおかげは受けられないという事。私は神様を思う、神様を思い続けると云う事がどんなに素晴らしい事かという事を先程、佐田さんのお話の中から感じさして頂いたんですけどね。
何時も親子三人で御本部参拝さしてもらうのだけれども、一月くらい前に、店の事のお届けがあった。慰安会ですか、それで丁度三日の日からでしたかね、丁度御本部参拝と一緒になる。それがあとで気がついた。こりゃしもうた。こりゃもう一度言い渡して悪いけれども、三日、四日を旅行という事に言うてあるけれども、もう一片これを発表しなおして、そして御本部参拝さして頂くのが本当ではなかろうかとも思うてみた。
御願いをさして頂いたら、そちらにはそちらの信心があるという意味の事を頂いて、ならお母さんと奥さんが御本部参拝をなさって、自分は店の方達を引き連れての旅行であった。所がどうです。私が奥城で頂いた事をそのままに実にリアルに頂いておられるという話を聞いたです。私も奥城で「大牟田黄金町」と頂いた時には、白金町というのは、教会があるから知っています。けどもまあもじって下さったんだろうかなあと思うて、皆さんにあの時聞いてもらった通りです、所がね、けれども同じ事が佐田さんの家にほんとの事が起こって来ておる。
タイの事でも久留米に石橋さんがおるという事でも、又はその人が大牟田黄金町である事も。白金町ちゃ知っとるばってん黄金町ちゃありますか、私が思うた様な事を一辺思うたり、聞いたりしておられる。そしてです。成程御本部参拝が出来なかったけれども、それに心が引っかかって今度の御本部参拝が出来なかった事が、何かお試しに落第した様な気がして、心も暗い思いで旅行さして頂いたという程しに、神様を思い続けて行った。そこには御本部参拝しても頂けなかった人もあろうけど。
佐田さんはちゃんとその日にやっぱり私が奥城で頂いた事をそのまま頂いておられたという話を聞かせて頂いてですね、先程からも申します様に、私共がそういう信心に本気で取り組まして頂く思いを思うという生活、どういう問題が起きても、さあこれをいかに有り難く頂くかという事を心に練らせて頂くというそういう信心が貴重になって、最近言われる所の願いの信心というものがある。
恐らく秋永先生、今までの過去の信心であったらです、神様に、「盗難御礼」だけであったであろう。ところがその「盗難御礼」のお届けの下に、「御願い」と書いてあった。これが今の合楽の信心なのだ。その御礼が申し上げる事が、貴重になっての御願いでなからなければいけない。いう信心をね、これからも限りなく、お互い極めさせて頂いて行くので御座います。
どうぞ。